用眼睛與身體做刻骨銘心的學習




                                                                                                            圖文    祝  曉梅

這一期的"淡交タイムス"9月号巻頭言,

家元的一篇文章"心に刻む",提到相機或錄影機的干擾,

讓人再三研讀反省。



文中提到三點,大致意譯如下(原文附在文後):



1.在神聖的獻茶式中,有人拿著手機,向著點茶者喀擦喀擦地忙拍照,

也許想要做為以後的回憶,但是卻欠缺了"一期一會"的心理認知。

當時眼睛所見,若能如烙印般地永誌心中,這才是茶道的真精神。



2.大型大會中的茶道儀式,在過去沒有顯示器的時代,

遠在二樓三樓的觀眾,視線都一樣銳利地投射到舞台上,一片寂靜,針落可聞,

但是現在大家都看著螢幕,似乎也廢弛了"一期一會"屏氣凝神的態度。



3.中級四ヶ伝或奥伝等等,無教本的口傳科目,

課後記下筆記無可厚非,但是如果不是用心去學,這樣只不過是筆記本在記憶罷了。

甚至有人手持錄影工具,這種學習態度更是如同泡影。

必須用自己的身體,全神貫注地積極面對每一個學習的瞬間。





這些道理其實已經說過無數次了,但是還是有人想要測試底線,

若是偷拍得逞,就像是撿到或中獎,沾沾自喜,或與自己的朋友分享。



但是身為裏千家弟子的我們,還是應該時時刻刻提醒自己,

以正確的態度來學習才對啊!







(原文)

気になることがありました。ある献茶式の際、参列者の一人が点前座のごく近くで携帯電話のカメラ機能を使ってカシャカシャと写真を撮りだされたのです。とても残念なことと思いました。写真に撮って後から何度も見返すことは、想い出として楽しいことかもしれません。しかし献茶式とは神聖な場であります。それが先ず第一。そして一期一会の心構えの欠落。しっかりと目で見て心に焼き付けるということがあってこその茶道です。



  地区大会でお茶湯の儀をさせていただく際にも感じていることです。以前は、二階席三階席の遠いところからでも会場中の視線が、舞台へ集中していることがわかりました。針を落としても響くような静寂さが存在しました。それが近頃、緩んでいるようです。スクリーンで点前が見られるようになってからは一期一会の概念が抜けてきているのでしょうか。



  稽古においても、例えば四ヶ伝や奥伝など教則本の無い口伝の点前手続きを稽古後にそれぞれノートに書き備忘録とされるのは結構ですが、ただ記録をしたその事実だけに安心し、心に刻もうとしなければ、単にノートに覚えさせただけのこと。手軽な電子機器で録画・撮影したとしても、そうしたものは泡沫のものです。一瞬一瞬に自分の身体でまるごと立ち向かい、積極的に学ぶ姿勢を持ち続けていただきたいと思います。



(淡交タイムス  9月号  巻頭言より  http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/times/times201409.html )

 
 

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