仕事で悟れ!サラリーマン道







之前本部落格中曾多次介紹『十牛圖』

這是一個尋求真我的方法





は、自己が本当に自己を取り戻すプロセスが、牛飼いが牛を飼いならすこと(つまり牛飼いの仕事)を通じて、実際の経験として示されているということです。道として真剣に仕事に取り組む人ならば、いかなる仕事であれ、そのまま『十牛図』における牛飼いの仕事と同じような成長過程をたどっていくはずです。



『十牛図』において、牛飼いが牛飼いの仕事を通じて(牛が象徴する)真の自己を見つけるプロセスは、企業においてビジネスパーソンが仕事を通じて(事業が象徴する)真の自己を見つけるプロセスと、重なるのではないでしょうか。自分の仕事と重ね合わせて、牛飼いの歩みから何か感じてもらえれば幸いです。



第1 尋牛(牛を尋ねる)



―牛を探し尋ねることを始めた図





そもそも、真の自己を求める気持ちがなければ、何も始まりません。できるビジネスパーソンならば、仕事を通じて自己を発見することを意識している人が多いのではないでしょうか。自己実現ということも言われます。しかし、「自己を実現」と言われても、ならば自己はどこに行ってしまったというのでしょう。もともと備わっているはずなのに、それに背中を向けてばかりいるから、見失ってしまったのです。だから、再発見しなければならない。あなたの中に、求めようという気持ちが起こるところから、道としての仕事がはじまります。



第2 見跡(足跡を探し出した)



―まだ、牛の姿は見えないけれど、足跡をたどって山に分け入る図





自分なりに最善を尽くして就職した会社だが、果たしてこの道でよかったのだろうか。迷いもありますが、とにかく今は、この道を進むしかありません。あなたは、先輩たちからさまざまなことを学び、仕事の筋道を理解します。自分に必要な知識を身に付けるため、ビジネス書も読みかじります。まだ、日々の自分の仕事がビジネス全体の中でどういう意味を持つのかも深く理解はできませんが、まずはこの道に慣れることから、道は開かれます。



第3 見牛(牛を見つけた)



―牛を尋ねて修行に出かけ、足跡をようやく見つけて、牛の姿を見いだす図





この業界に入って数年。部署の先輩についていろいろなことを教わりながら、自分なりにも工夫を重ねて、精進してきました。資料作りなどの下仕事から始まって、今では先輩とともに営業先でプレゼンテーションを任されるほどになりました。数名ですが部下も持ち、以前のように言われたことをやるだけでなく、リーダーとして自分で新規事業を創ることが求められています。そんなとき、あなたはついに、これぞ!という新たなビジネスの種を見つけ、可能性を追いかけることにしました。



 



第4 得牛(牛をつかまえた)



―久しく離れていた牛を見つけ、捕まえる図





筋がよいと思われた新規事業でしたが、ふたを開けてみると思った以上に苦難も多く、立ち上げには予想以上の時間がかかってしまいました。部下の頑張りもあって、なんとか事業のスタートにこぎ着けることができましたが、始める前には予想もしなかったことが、毎日のように起こります。安定へ向けて新規事業を飼いならすのは大変で、上司や部下との激しい議論も日常茶飯事ですが、あなたは充実感を持った日々を過ごしています。



第5 牧牛(牛を飼い馴らす)



―つかまえた牛を、自分の思うように動いてくれるよう、飼いならす図





立ち上げから3年、新規事業もようやく軌道に乗り始めました。大口の契約も複数取れて、顧客からの信頼も高まってきていることを、あなたは実感します。収益も安定的に推移し、本社内でも成長事業の中核として皆から認められるようになってきました。部下もしっかり育ち、マネジメントチームは一丸となって生き生きと仕事に取り組んでいます。派生して生まれた次の新規事業は、以前の自分ように必死になることもなく、もはや飼いならされた牛を手際よく引く牛飼いのように、社内ベンチャーとして成功に導くことができます。



 



第6 騎牛帰家(牛に乗り、家へ帰る)



―飼いならした牛をわがものにして、家へ帰る図





気がつけばあなたは、もうずいぶん長い間、ビジネスの戦いの場に身を置いてきました。第一線こそ後進に譲りましたが、この業界のプロフェッショナルとして、もうどんな事業でも自由自在に操れる自信があります。また、リーダーとして人間的な成長も感じています。若い頃にあった自己主張やこだわりはだいぶ薄れて、自己を真摯に振り返ること、世界を大きな目で見ることができるようになりました。部下からも「丸くなりましたね」と言われます。人からは成功者と言われますが、心はもはや、無心の境地。



 



第7 忘牛存人(牛は忘れて人が残った)



―牛のことをすっかり忘れて、自分だけがいる図





「自分はこれまでこの業界、この道一筋でやってきたけれど、考えてみれば、その道は何でもよかったのかもしれない。たまたま、わが人生のしばらくの間、その道を突き詰めることによって、自己と向き合うことをしてきただけなのではないか。仕事に、成功も失敗もありはしない。ただ、自分が自分であればいい」。あなたはふと、そんなことを思います。



第8 人牛倶忘(人も牛も共々忘れた)



―図には、何も描かれていない



「いや、仕事とか、自分とか、それも皆、過ぎたこと……」とばかりに、あなたは虚空を見つめます。心は鏡のように研ぎすまされています。



第9 返本還源(本源にかえる)



―人も牛もいない自然が描かれた図





あなたが見つめる視線の先には、美しい花々や青々とした木々の自然が広がっています。そこにはもはや、自己も他者もありません。価値観や目的も消え去っています。何も思うことのない清らかな心が、何もかもを包み込む宇宙と、ぴったりとひとつになっています。



 



第10 入てん垂手(ぶらりと町に出て、人と戯れる)



―布袋和尚がぶらりと手を垂れて町に出る図



隠居したと思われていたあなたが、久しぶりに町に姿を表しました。もはや、以前のような成功者の面影はありません。ぼろぼろの着物を来て、まるで世捨て人のような出で立ちで、ひたすらニコニコと、誰彼かまわず、人々に話しかけています。変わった人だと思われながらも、皆と笑い合い、感化させてしまう姿は、そのまま仏さまのようです。過去の仕事での苦労や成功は、きっとこの境地に至るための方便にすぎなかったのです。



どうでしょう。あなたは、今、どのステージにいますか?



松本 紹圭 :光明寺 僧侶 http://toyokeizai.net/articles/-/14022東洋経済



 



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